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声優・俳優・ナレーター ちぢぃーの日々是雑感
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Chi-Zie's Blog
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40周年を祝う横浜スタジアムツアー2026
2026年8月8日 あれから40年――― 記憶はところどころ断片的にはなっているけれど、1986年8月8日、僕たちはここ横浜スタジアムの特設ステージで地元のローカルコンテスト「YOKOHAMA HIGHSCHOOL HOT WAVE FESTIVAL Vol.7」決戦大会出場の18バンドの一組としてオリジナル曲の「Radio Taiso」を演奏し、エンターティナー賞を受賞したのであった。あの17歳の夏の記憶を辿るべく、再び横浜スタジアムへ来たぜ! 原体験の地。そして横浜出身の自分には馴染み深い場所。 プロ野球観戦は佐々木大魔神を擁してベイスターズが優勝した1998年に一度きり、高校野球の応援では何度か来ているけれど、内部に入るのは40年ぶり。ホットウェーブの際は選手ロッカーが楽屋だったりダッグアウトが待機場所だったり、あちこち動き回りました。電光掲示板を背にしたステージに上がるために当然グラウンドも歩いたけれど、このツアーでは無理みたい(時間も早くなかったし)。グラウンドの土はなかなか踏めないんだねえ。 顔を揃えたのはオリジナルメンバーの自分と西

Ryusaku Chijiwa
8月8日読了時間: 6分


Hot Wave Festivalの想い出①:あの迷曲はこうして生まれた
2026年7月14日 先日の投稿に引き続き、この8月に自分が高校時代に活動していたバンド「肉体疲労児」が地元のコンテストにて横浜スタジアムの決戦大会でのステージを踏んでから40周年を迎えるにあたって当時の想い出を雑多に綴ってみようと思う(具体的に書くのは多分初めて)。 自分が最初にバンドを組んだのは1983年、中学二年生の6月のこと。すでにドラムを叩いていた身内の影響は大きかったが「いかにも中学生っぽい趣味活動をしたい」という漠然とした理由で小学校時代からの同級生を誘ってバンド名を「バイタミン」として結成。パートはドラムだったが演奏経験はほとんどなし。同級生は通信販売でギターを買って意気揚々だったのに別のギタリストを見つけて引き込んだため先に声を掛けた友達はベースに転向を余儀なくされる。ギター、ベース、ドラムの3ピースで山下久美子やマッドネス、YMOや高橋幸宏とメンバーの趣味を反映して雑多にコピーしたがほどなくYMO一本に統一、「在広東少年楽団」と名を変え「三年生を送る会」にて初ステージ(YMOを気取ってサポートスイッチャーを参加させる)。翌年は

Ryusaku Chijiwa
7月14日読了時間: 5分


そして40年。
2026年7月10日 あの夏を忘れない――― 2026年8月8日、横浜スタジアムのグラウンドに40年ぶりに立ちます!!! と、言っても音楽イベントのステージ出演などではなくて、見学ツアーのお客さんとしてバンドメンバーと一緒に球場内をぐるっと巡るだけ(笑)でもこういう趣向もいいもんだよね(スタジアムツアーがあるなんて知らなかったし)。見学後は中華街にて食事の予定。このささやかなセレブレーションにぜひとも同行したいという肉体疲労児のファンの方(いるのか?w)そして当時の共演者の方(※スタッフ・関係者を除く)、1986年8月8日(ヨコハマハイスクール・ホットウェーブフェスティバルVol.7決戦大会)を一緒に回顧しようぜ!!! 祝おうぜ!!! スタッフ・関係者を除くとわざわざ書き添えたことについて・・・前回ホットウェーブについて記事にしたのは五年前(35周年)、その時には書かなかったがこのコンテストについては改めていくつか記しておきたい。開催地は横浜、自分が参加した1986年(第7回)は予選大会が横浜西公会堂で決戦大会が横浜スタジアム。アマチュアコンテス

Ryusaku Chijiwa
7月10日読了時間: 4分


「Radio Taiso/肉体疲労児」。
2021年8月8日 個人のウェブサイトを立ち上げてから実に22年、HTML形式の日記を経てブログに移行して16年。これまで折に触れて記事にアップしてきたものの動画を公開したことは一切なかったちぢぃー高校時代の幻の演奏(地元ローカルのバンドコンテストに出場した際の映像)を、35周年を迎えるこの日、ついに本邦初公開!!・・というとまるで凄い事のように聞こえるかもしれないけど、何のことはない、ビデオキャプチャの作業をする機会がずっとなかっただけのことで、しかもその内容はどちらかと言えば黒歴史に近いものだったりして(笑)、実のところ胸を張ってどうだ!と言えるシロモノではない(いや、これほんと)。この模様は当時深夜1時からフジテレビ系列で放送されたんだけど、自分が出ていることを知らない先輩をして我がバンドの事を「あれ、一番ヘタなバンドやったなあ」と言わしめた、いわく付きの演奏。少々解説すると、フロントマンであるボーカルに難ありというのはメンバーも認識していたため、短いサビ以外がすべてラップになっているのは苦肉の策だったのである(そのサビも本来歌わせない段取

Ryusaku Chijiwa
2021年8月8日読了時間: 3分
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