2026年7月14日 先日の投稿に引き続き、この8月に自分が高校時代に活動していたバンド「肉体疲労児」が地元のコンテストにて横浜スタジアムの決戦大会でのステージを踏んでから40周年を迎えるにあたって当時の想い出を雑多に綴ってみようと思う(具体的に書くのは多分初めて)。 自分が最初にバンドを組んだのは1983年、中学二年生の6月のこと。すでにドラムを叩いていた身内の影響は大きかったが「いかにも中学生っぽい趣味活動をしたい」という漠然とした理由で小学校時代からの同級生を誘ってバンド名を「バイタミン」として結成。パートはドラムだったが演奏経験はほとんどなし。同級生は通信販売でギターを買って意気揚々だったのに別のギタリストを見つけて引き込んだため先に声を掛けた友達はベースに転向を余儀なくされる。ギター、ベース、ドラムの3ピースで山下久美子やマッドネス、YMOや高橋幸宏とメンバーの趣味を反映して雑多にコピーしたがほどなくYMO一本に統一、「在広東少年楽団」と名を変え「三年生を送る会」にて初ステージ(YMOを気取ってサポートスイッチャーを参加させる)。翌年は