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滝沢久美子さんを偲ぶ。

2022年6月20日


滝沢久美子さんがお亡くなりになったとの一報。またお一人、大先輩を見送ることになるのはとても寂しい・・・とは言っても、実際に収録でご一緒をしたのは一、二度あった程度。お会いしたのは自分が同人舎時代に先輩の計らいで外画の収録の見学に行った時。等々力のスタジオでアフレコが行われていたのは「バビロン5」という海外SFドラマシリーズで、自分は二度ほどお邪魔したと記憶している。今ではなかなか考えられないことだけど、サブ(ミキサー卓がある副調整室)でディレクターのすぐ後ろに座っての見学で、アフレコブースの様子はガラス越しでありながらよく見えず、マイクを通して台詞や休憩時間の雑談の声が聞こえると言った具合(そこで、自分はこの壁の向こう側に絶対に行くんだ、絶対に行くんだ・・・!と強く念じ続けたというエピソードは講義などでよく披露する)。お楽しみはその後の食事の席にご一緒することで、加藤亮夫さんや江川央生さん、齋藤志郎さんなどの顔ぶれの中に一度、滝沢さんがいらしたことがあった。アフレコ終わりの午後、「あらき」という中華料理屋さんでの会食は賑やかで、お燗をしてもらった紹興酒の大瓶がいつも二本は空けられていた。事務所のジュニア以前の所属でまだろくに仕事も経験していない身でありながら宴に同席して、自分は(プロの世界の空気とはこういうものか)という思いを嚙みしめていた。アフレコも食事の場もとにかく自分にとっては強烈な刺激を受けたのだった。その帰り道、滝沢さんと同じ方面だった自分は電車の終点までご一緒した。食事の席でお酒のマナーがちょっとよくないのよねと苦言を呈されるような面がおありなので、自分が平身低頭で恐縮しながら話をしていると「そんな敬語を使う事なんて無いのよ~」とやんわりと制して下さった。素性のわからぬただの見学者と30分近くも電車に揺られているのは今にして思えばかなり面倒なことだったろうが、自分はおずおずと会話を繋いだ。その中で当時持っていた声優ムック本で矢島晶子さんがインタビューで「声優デビュー作(「アイドル伝説えり子」)のアフレコでは滝沢久美子さんがずっと付きっきりで面倒を見てくれて本当に感謝をしている」と答えてらしたのを読みましたよ、と話すと「あら、本当?嬉しいわ」と言って笑っておられたのが印象的だった。「えり子」は1989年の作品だったからその当時(2000年頃)でもかなり古い話で当人も当然、百も承知のエピソードだっただろうに「それ本当に?」と聞き返されたので、あまりそうした情報は耳に入らないのかなと思った自分でありました。69歳、まだまだお早いです・・・心よりご冥福をお祈り致します。


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