空の向こうへ。
- Ryusaku Chijiwa

- 8月27日
- 読了時間: 2分
2025年8月27日
今朝、SNSを通じてセッション仲間さんのご家族(ペット)の訃報を聞く。可愛い写真などでこちらも癒されてきたのでしばし言葉を失う。と同時にはたと思い起こすことが――。
独身時代に一緒に暮らしていた愛猫のん(♀)を亡くしたのが2000年のこと。思い糖尿病を患いわずか8年の生涯。何よりも大事にしていたので悲しみは深く、思い出すことも名前を口にすることも長らく出来なかった。7、8年が過ぎたころにようやく「のん」「のんにゃん」と言葉に発することが出来るようになった。それは数々の楽しい思い出とともに蘇り、まるで幸せを呼ぶ魔法の言葉のようだった。結婚を機に転居して、13年を経て再び奇しくも一人暮らしをしていた元の街に戻ってくることになった。それから10年。のんは家猫として生きたが窮屈な毎日だったろうと敢えて合同供養塔に祀ってもらったが、四半世紀の間一度もお参りに行っていないのだ。これは近年になって行かなければと思いつつ機会を逃したままになっていて、それがずっと心に引っ掛かっていたのだった。いくらお空で自由に遊ばせたいとは言えひどいご主人だよね――長年にわたり不義理をしたことを懺悔するような気持で霊園へ。あれから25年も経っているというのに、やはり悲しみが蘇って涙が止まらなくなる。ごめんね、ごめんねと呟きながら賽銭を投げ入れてお焼香をし、改めて手を合わせる。
あの日・・・のんをここへ連れてきた日の事を鮮明に覚えている。小さな箱に入れられた姿を見て「ああ、綺麗な猫ちゃんだ」とご主人が声を掛けてくれたのがどれほど癒しと慰めになったことか。亡くなる数日前にのんは水を張った浴槽に自ら飛び込んでずぶ濡れになったということがあり、乾かしたばかりで毛並みはとても綺麗だったのだ。自慢の娘を褒められたようで悲しみの中にあって少し嬉しかったね。やはり、言葉の力というのは大きいのだ。
事務所で経緯を話し住所の変更手続きなどは行えるのか聞いてみると「一周忌法要のお知らせを葉書で送って以降は特に連絡することもしていないので特に要らない」とのこと。それ以上深追いはしなかったが名簿などはすべて保管していないのかもしれないな。これからは時間を見つけて訪れるようにしよう。どれだけ年月が経っても「のんは唯一無二」だもの。





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