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益田幹夫よ、永遠なれ。

更新日:2021年5月23日

2021年5月21日


自分がまだ高校3年生だった1987年の秋、日本テレビ系にて深夜0時に放送がスタートした「セレクト・ライブ・イン・ジャズ」。日本たばこ産業(現在のJT)がジャズフェスティバルに協賛していたメインスポンサーだったことから誕生した番組だった(ラジオでは「セレクト・ジャズ・ワークショップ」が放送されていた)。野球中継のないシーズンオフにのみオンエアという形で翌88年も放送されたが、その2シーズン限りで終了した。自分は中学2年からドラムを始め、高校2年時にコンテストで入賞したりでバンド漬けの日々、ロック少年でジャズには全く縁がなかった。それが1986年、これもまた深夜のテレビ放送でたまたま見た「セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ」に衝撃を受け、にわかにジャズ/フュージョンへの興味が強くなっていた頃。ジャズこそは本場の海外アーティストありきで、邦人ジャズは何だかダサい・・・という根拠のない先入観を完全に払拭する契機になった番組。週末の夜、居間でたっぷり1時間のジャズライブを(お酒は飲めないのでドクターペッパーを片手に)イヤホンで聴くのは何だかとても贅沢に思え、放送を楽しみにしていたのだった。出来る限りビデオ録画していたけれど、当時の我が家にあったのはモノラルのビュースター(ビデオデッキ)。貴重な映像は残っているものの、画質・音質は必ずしも最良の状態ではないというのが難点だった。今回YouTubeで見つけたのは自分が当時、最も繰り返して見た一番お気に入りの「益田幹夫カルテット」の回。もちろんステレオ音源だ。同じジャズであってもジャズサンバやボサノヴァといった聴きやすい曲が多いこと、そしてまだ若干21歳だった天才ドラマー、奥平真吾氏の正統派(ある意味オールドファッションな)ドラミングにただただ魅了されたのだった。あまりに何度も見返しているので、スタンダードの「スピーク・ロウ」「ラブ・フォー・セール」はここでのバージョンが自分の中で最もしっくりくるほど。33年ぶりに見られるとは!リーダーの益田幹夫さんは1990年代に入って持病の多発性硬化症が進行したが、97年に復帰作「黒水仙」をリリース。だがディスコグラフィーは翌年の「ブルー・ダンプリング」以降記述がなく、近況を知りたくても情報がないのは至極残念。しかしこの演奏は永遠だ。皆様にもぜひ!!ご堪能頂きたい。


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