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モラルとは、尊厳とは。

2023年12月13日


日本俳優連合からのメールで告知されていたので、NHK総合での「クローズアップ現代」・「世界を席捲!生成AI共存のために必要なことは?」を録画して視聴した。自分は極めてアナログな人間なので新しい技術についての知識は乏しい。だが、今回は声優の武器でありまた生命でもある「声の権利」について特化した内容であったので見逃せない。YouTube等の動画配信や楽曲のサブスクリプション、ChatGPTなどが世に出た時、多くの人々はてらいなくそれを受け容れてあっというまに日々の生活に浸透させる。その有用性と同時に危険性を顧みることはほとんどない。技術革新とそれらの普及のスピードが速すぎるのだ。クロ現で映し出されたのは新しいものに飛びつき目を輝かせる人々の姿ばかり。だって見たい、聴きたい、知りたいんだもの、仕方ないよね――という風潮がまかり通っている。人々は利便のみを追い求め、いつの頃からかこんな時代になってしまった。声の演技も、漫画の「ブラック・ジャック」にも、演じ手や描き手の魂が宿っている。鍛錬を積んだ成果が結実している。AIが出現するずっと以前からも、藤子・F・不二雄先生の「ドラえもん」最終回のパロディ版が出回って一部で話題になっており、自分もそれを読んだことがあった。それは全く秀逸なところがなく、ただのフェイクの域を出ないものとして映った。自分が感動しなかったのは、当然ながら藤子先生の魂が抜け落ちているからだ。世間の大多数の人々は審美眼などというものをおよそ持ち合わせず、見るもの聴くものに対する自身のセンスを磨くことなく、いとも簡単に感動する。演技や演奏、動画にはじまってあらゆる創作物をAIが代用したとしても抵抗なく受け容れるのだろう(先日某所にて音楽仲間が別段これといった特徴はないドラム演奏を見て「あれは上手いね!」と褒めていたのが悲しかった。努力や研鑽と言うものは往々にして受け手には伝わらないもので、この程度でいいんだなと思った)。こういったことを書くと時代の変化に取り残された年寄りだと思われるのだろう。しかし、芸術表現にとどまらない声や著作や発想の「権利」について、今こそもっと真剣に、そしてもっと厳しい目で考えて行かなければならないのではと思う。怖い時代になってしまった。


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