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真冬の帰り道。

更新日:2019年4月3日

2019年4月2日


新元号にまつわるニュース(ニュースバラエティとワイドショー)の過熱ぶりと浮かれようにほとほと嫌気がさしてしまい、避けるようにしていたら、あれよあれよという間に改元の発表当日を迎えた。「令和」、予想だにしなかった言葉で、語感はかつての「昭和」に酷似しているし、「和令」ならばどこかしっくり来そうなところだけど、画数の少ない字が先で何ともあっさりしていてバランスが悪く、拍子抜けしたような気分(個人的な感想ですが)。どこかの首相さんが何物も寄せ付けず好き放題に振る舞っていることの流れだと思うと余計に、この改元がすべてが円満に、望まれて施行されるものなのかという疑問がぬぐえない。自分は天邪鬼なのだろうか?また一つ、歴史に俺の名を残してやったと心秘かに快哉を叫んではいやしないか、シンゾウさん。 だが、自分がこれほど醒めた目で見ているのは、それ以前に過去「昭和」から「平成」への転換を体験したことが大きく影響しているのではないか。僕は高校を卒業してすぐに音楽の専門学校(メーザー・ハウス)に入学したが授業にまったくついて行けず、同時に始めていた楽器店でのアルバイトも秋を目途に辞め、大学受験という逃げ道を口実に一転、予備校に通うことになった。学生でもなく、社会人でもなく、突如身分を失ったことが不安で仕方がなく、とにかく、社会のひとコマでありたいと願ってのことだった。今にして思えば信じられない発想だが、当時の自分は「青い鳥症候群」の最たるものであった(そのまま今に至っている?)。しかしもともと現役の時でさえ身を入れて勉強をしなかった自分があわてて受験対策に舵を切ってもうまくいくはずもない。漫然と自宅と予備校の電車通学を繰り返したが、とても大学と名の付くところに入れるほどまでに成績は上がらなかった。その年、1988年12月の大晦日、高校時代の友人たちに誘われたあてどもないドライブで、自分は車に揺られていた。実家暮らしではあったけれども兄は独立していたし(姉は放浪していた)、父は熊本へ単身赴任したばかり、母も結局それに付いていくことになり、自分は広い実家でただ一人、日々怠惰な生活を送っていた。年末で予備校の授業は無かったと思うが、夜、予告なしに自宅前に乗り付けられて仕方なく付き合うことにしたものの、全く気分は乗らなかった。雨が降っていたと記憶している。暗く、寒い夜だった。みな口数も少なく、特に面白いことが起きることもなく、とにかく早く帰りたかった。どこかの高速道路を走っている時、午前0時の時報を聞いた。(こんな新年の迎え方って初めてだ)年が明けたというのに胸躍ることもなく、明るい未来への希望もなかった。闇夜をただ走り続ける車と同じく、自分が一体どこへ向かっているのか、見当がつかなかった…そんなことをよく覚えている。昭和天皇が崩御されたのはそれから間もなくの、1月7日のことだった。東京の本社に戻っていた父に、何か書類を届けに行った。テレビは陛下がお隠れになったというニュースを流し続け、日本中が喪に服して厳粛な空気に包まれていたので、自分も気軽に外を出歩くのがどこか憚られ、手持ちの黒い服装で出かけたりした。そんな中で到来したのが「平成」の時代だった。初めて体験する「改元」の瞬間。小渕首相が手にした「平成」の文字、映像として強烈なインパクトだった。時代がこんな風に転換するのだという様を目の当たりにして、まさしく激動という形容がふさわしいと感じるほど、ドラマティックな体験だった。平らかに成るで、平成か。カッコイイじゃないか。新しい時代の始まりだった。暗い自分の未来に、一筋の光を見るようだった。

早速、世は平成一色となった。平成商事、平成株式会社と改名する企業が続々と現れ、「平成の色男」「平成名物TV」などいったキャッチコピーやタイトルが巷にあふれた。Hey!Say!JUMPは2007年(平成19年)の結成だが、平成が新しい時代を意味している点で趣旨は同じだと言える。「平成」という元号は、実にキャッチーなものとして違和感なくあらゆる事物に冠されたのである。「明治」や「昭和」においても同じようなことはあったろうとは思うが、これほどまでに身近なものとして親しまれたことはなかったのではないか?しかし、今回の改元は状況がまったく異なる。それどころか、生前退位という初めての例で、陛下自らのご意志と報道はされているが、それに至るまでの世論や政治的な面からの無言の圧力は一切なかったと断言できるだろうか。何かが歪曲されてはいまいか。僕は、この一連の流れに自然なものを感じないのだ。これ以上のことは言及しないが、個人的に、違和感が多いのである。時代というのは、誰かの手によって無理に捻じ曲げられるものではないと思う。


流行というものは過熱すれば必ず揺り戻しというものが起きるわけで、一時的にもてはやされたものはやがて「ダサイ」ものへと変化する。それは、平成の31年で自分が見てきたことだ。新しい元号、新しい時代に希望を抱くのは大いに結構だが、当世おなじみの「映え」的なオモチャにすることは、あまりにも呑気過ぎやしないだろうか。


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