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渡辺裕之さんを悼む。

更新日:2022年5月16日

2022年5月9日


先週、ネットニュースに飛び込んできたのは俳優、渡辺裕之さんの訃報。こんな報せを聞くことになるとは思ってもおらず、ただただ残念だと言うほかはない。長らくテレビドラマや映画、CMその他で多彩な活動をされていたのは広く知られるところだが、自分はその仕事ひとつひとつを追いかけて見ていたわけではない。昼ドラの主演、特撮番組におけるバイプレーヤー、プロ級の腕前だったドラマーとしての活動など、受け手によってそのイメージは様々だと思うが、自分の場合は何と言っても映画主演デビュー作品の「オン・ザ・ロード」での演技がずっと忘れられないでいた。1982年4月に松竹系でロードショー公開された本作品は大林宣彦監督の「転校生」との併映で、ピンク映画を撮っていた和泉聖治監督(のちに「相棒」シリーズのメイン監督を務める)の一般映画デビュー作品でもあったが、ほとんど注目を集めなかった。当時モデルとしての活動は始めていたが演技を披露するのは初めて、まだ若くフレッシュな魅力があったが水戸市出身で茨城訛りが随所に聞かれ、朴訥としたセリフ回しは田舎出身の素朴な青年、という印象が強かった。甘く精悍なマスク、鍛え上げられた身体はいかにもタフガイといった感じがあり、松竹は骨太のイメージで売りたかったのだと思う。渡辺が演じる白バイ警官・富島哲郎がレイバンのサングラスをかけた顔のアップを使い、「どうかしてるぜ、この俺は―」という台詞をキャッチフレーズにしたポスター、CM展開をしたが、劇中にそんな台詞はなく(!)、実際には「どうかしてるよな・・・」と呟く場面があるのみ。そう、渡辺さんの台詞は作り手の意図に反して優しく、暖かみに満ちたもので、そのキャラクターはさながら「気のいいニイチャン」。恐らくそれが渡辺裕之の素のままの姿だったのだろう。愚直なまでに生真面目で、その骨太な風貌に反して繊細で神経質な性格。作り上げられたイメージ通りの役を演じ、それを長らく維持することの辛さやプレッシャーもあったであろうことを想像すると、縊死という道を選び自らの人生に幕を閉じた悲しいニュースは、大変失礼な言い方ではあるがどこか合点がいくところがあった。大好きだった作品「オン・ザ・ロード」のイメージで、自分は生意気ながらも渡辺さんの事をずっと「不器用な人」と捉えていた。芸能界に身を置きながら、もっと器用に、狡猾に、ずる賢く生きていれば・・・でもそれが最後まで出来なかったのがいかにも渡辺裕之たるところだったのだと思う。映画のクライマックス、もはやその目的さえ見失いかけ、それでも愚直に白バイを走らせ続ける富島が上司の高森(室田日出男)に対して呟く「あんたにわかるかよ・・オレは解りかけてきたんだ。邪魔しねえでくれ」という言葉には、言い知れぬ凄みが宿っていた。渡辺さん、こんなお別れは寂しいです。富島哲郎よ、永遠なれ――。


中学一年生だった自分が渋谷松竹で「オン・ザ・ロード」のロードショーを観た日、不意に「本日、主演の渡辺裕之さんがロビーにいらしています――」という場内アナウンスが。今ではとても考えられないことだが、それが昭和という時代。劇場はにわかにサイン会場となった。少年ちぢぃーは「面白かったです!」と言うのが精一杯だったものの、握手もしてもらってとても嬉しかったことを覚えている。その後再びお会いする機会は一度もなかったけれど、サイン入りのパンフレットは今でも大切に持っている。検索してみると渡辺さんは書家のような雰囲気充分のサインを書いているが、デビュー当時のアイドル的なテイストのこのサインはかなり珍しいはず。大事にしないとね。改めて、ご冥福をお祈りいたします。


#オン・ザ・ロード


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