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注釈付きの人生。

2023年11月7日


「人生で最も楽しかった時期は?」と聞かれれば、即答で中学生の頃だと答える。受験勉強はおろか普段の勉強もろくにせず、ラジオDJの真似事をしたカセットテープを作ってクラスメートに聞かせたり、映画館に通って映画通を気取ったり、頼まれもしないのにクラス内外の文集や遠足のしおりの表紙イラストを描くのを楽しみとしたり、バンド活動に熱中してプロドラマーを夢見たりと、好きな事だけをやっていた三年間。でも当時の母校は不良生徒も多く風紀は少し荒れていて、放送室が乗っ取られたり先生が暴力を受けたりという出来事も多かった。学級新聞にそうした不良たちを糾弾するコラムを書いたところ担任に差し替えるよう説得されてしぶしぶ応じたが、学校に対して反抗的であるにもかかわらずわざわざ登校してトラブルを起こす連中は心底嫌いだった。徒党を組んではいるがクラスはバラバラだから、一人の時はあまり吠えない。クラスの仲間とはそれなりにコミュニケーションを取るものだから、周囲は決まってこう擁護した――「あいつ、ホントはいいヤツだからさ」。自分はこの言葉が最も嫌いだった。そんな他人の注釈が無ければ理解されぬ人間など一人前とはとても言い難い。「ホントはいいヤツ」ならば、普段からいいヤツとして振るまえばいい。他人の助け舟を借りて善良な人々の中に紛れ込むんじゃねえ、とまで思っていた。その思いは成人し社会人になった今でも変わりがない。これもまた職場でよく聞かれる「悪い人じゃないんだけどね」、という言葉でフォローされる人間。周囲から完全に疎まれている厄介な人物なのに皆に見過ごしてもらっている(または放置されている)わけで、これは会社組織において害悪でしかないだろう。いい歳になってそれに気づかず治そうともしないのは、単なる社会不適応者だ。またそれを長年にわたって放置している企業も信頼が置けない。元をただせばそんな人物を採用してしまう、適性を見抜けない会社も全くどうかしているよね。


そんなことをぼんやり考えながらのランチはネギそば。適正云々を抜きにしなければ採用もされない自分が何を言っているのか。ますます心は暗く閉ざされていく。気が重いね・・。


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