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Hot Wave Festivalの想い出①:あの迷曲はこうして生まれた

更新日:7月18日

2026年7月14日


先日の投稿に引き続き、この8月に自分が高校時代に活動していたバンド「肉体疲労児」が地元のコンテストにて横浜スタジアムの決戦大会でのステージを踏んでから40周年を迎えるにあたって当時の想い出を雑多に綴ってみようと思う(具体的に書くのは多分初めて)。


自分が最初にバンドを組んだのは1983年、中学二年生の6月のこと。すでにドラムを叩いていた身内の影響は大きかったが「いかにも中学生っぽい趣味活動をしたい」という漠然とした理由で小学校時代からの同級生を誘ってバンド名を「バイタミン」として結成。パートはドラムだったが演奏経験はほとんどなし。同級生は通信販売でギターを買って意気揚々だったのに別のギタリストを見つけて引き込んだため先に声を掛けた友達はベースに転向を余儀なくされる。ギター、ベース、ドラムの3ピースで山下久美子やマッドネス、YMOや高橋幸宏とメンバーの趣味を反映して雑多にコピーしたがほどなくYMO一本に統一、「在広東少年楽団」と名を変え「三年生を送る会」にて初ステージ(YMOを気取ってサポートスイッチャーを参加させる)。翌年は高校受験を控え活動は一時休止、今度は爆風スランプのコピーに切り替え「爆笑スランプ」名義でボーカル、キーボードを加え「三年生を送る会」で演奏。全員別々の高校に進学したが活動は継続、地元小学校のバザーイベントで「東京おとなクラブ」名義で演奏。キーボードが脱退したのち翌1986年「肉体疲労児」に改名。その4月ヤマハ渋谷店でEast West予選会を兼ねた「中高生バンド合戦」に爆風スランプのコピーで挑戦し6月も出場。4月はベストドラマー賞受賞、6月はボーカルに代役を立ててエントリーしたが小川銀次、是方博邦両氏からの寸評は「もっと迫力を、是非オリジナルを!」といったもので、これがオリジナルバンドに大きく舵を切る契機となる。


「こういうコンテストがあるけど知ってる?」わざわざ電話をくれた友達にそう言われたのが高校一年の時。聞けばホットウェーブという地元の大会、初めて聞く名前だった。全容はわからないが高校生に特化したイベントらしい。それならば多少は有利に進めるかも、と思ったがすでに応募期間は締め切りを過ぎており(来年こそは応募するぞ)と皆で共通の目標とした。そして翌年、満を持してエントリーすることになり、応募はオリジナル曲でなければならないためボーカル以外の三人がギター君の家で夜を徹してミーティング。ボーカルの歌唱力に難ありという点をクリアする為に歌はラップ調の形式を取り、一同でユニゾンをするサビ部分でも歌唱禁止とするなどシビアなもの(でも決戦大会では一緒に歌っちゃってるんだなこれが)。曲の組み立てはギター主導でベース君が意見しながら行ったもので、ドラムはそれにどう合わせるか思いを巡らせるのみ、音合わせなしの打ち合わせだったのでリズムパターンやオカズ(フィル)のすべては後付けとなった。ギターのカッティングをなぞるように叩いたのでやや変則的で独特なパターンに聞こえるらしく、共演バンドの人から「ジャズか何かやってる?」と言われたことがあった。これは中学二年頃からカシオペアが好きで聴き込んでいたのが多少は良かったのかも知れない。かくして、誰もが子どもの頃夏休みに参加していたラジオ体操を題材にキミももう一度続けてみようぜ!(何で?)と呼びかける内容で笑いどころはあまり無かったにせよ当時においては斬新かつ軽快なラップナンバーの「Radio Taiso(レディオタイソウ)」が誕生した。ザ・ドリフターズのヒット曲「ドリフの早口ことば」が1980年、スネークマンショーの「咲坂と桃内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー」が1981年、吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」が1984年、まだ(いわゆる)垢抜けない日本語ラップソングがようやく認知され始めた頃で本格的な海外のヒップホップの流れを汲むアーティストはまだメジャーシーンにおらず、いとうせいこうやタイニイ・パンクスは1986年9月のデビュー、スチャダラパーはその後で、電気グルーヴの登場は1990年代になってからだ。苦肉の策でひねり出した楽曲は図らずも時代をちょっとだけ先取りしていたのだ―ということにしておくとカッコいいじゃん(笑)


ホットウェーブは毎年エントリー曲に加え二分程度の尺でイメージソングを自作することも各バンドに課しており、1986年の国際平和年に因み「平和」をテーマにしたものを、と指定された。ここは思い切りウケを取りに行って曲はド演歌調にしてボーカルは浴衣に番傘スタイルとコミックバンドの面目躍如、本編のエントリー曲を披露する前の「つかみ」にもなったのが功を奏することになった。1313本の応募テープ審査を経て横浜西公会堂での予選大会出場54バンドに選出、決戦大会出場の18バンドに残った。その決戦大会は8月8日に横浜スタジアムで行われる――4分程度のオリジナル曲と2分のイメージソング、それだけを練習するために何度もスタジオに入った。細かいアレンジを繰り返し、応募テープに録音した最初期の演奏とはテンポもノリもまるで違うバージョンへと変貌を遂げていた。


「ポップティーン」に紹介された予選大会出場バンドのプロフィール。貴重な資料です。

ポップティーン①
ポップティーン①
ポップティーン②
ポップティーン②






















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