Hot Wave Festivalの想い出②:あの夏に出会った人々たち
- Ryusaku Chijiwa

- 7月15日
- 読了時間: 6分
更新日:2 日前
2026年7月15日
YOKOHAMA HIGHSCHOOL HOT WAVE FESTIVAL
Vol.7【決戦大会出場バンド】1986年8月8日 横浜スタジアム
サクラサクバンド/Parang Rang/A-Girl/
SUCCESS STREET/That’s on Noise/
募金おねがいします/スズメハウス/肉体疲労児/The うちわバンド
CENTER FOLD/飛行船/TAKE-4/BOYA
LIBERTAN/Inter Mission
びっくりしたな、もう/THE FORTY-NINERS/
DANGER
1986年夏に自分がバンドで参加したヨコハマハイスクール・ホットウェーブ・フェスティバルVol.7は1313本の応募テープの中から予選に55組が選出されて18組が決戦大会へと駒を進めたと書いた。これだけのバンド数である、ともに入賞を狙い目標を同じくする戦友として仲間意識が芽生えたり知り合いになってもおかしくない状況にあって、実際に交流したのはほんの二、三バンド止まり。かつてない規模の大舞台に立つ緊張とプレッシャーで余裕などなかったし、予選まで来たのだから何としてでも決戦大会に進みたい、他の奴らには負けたくないという思いも強かったから心情的にはバチバチと火花を散らしていたのだろうね。例外的に仲良くなったのは予選大会で一緒だった座間のバンドSea-Sideさん、決戦には進めなかったがみな穏やかでフレンドリーだったので何度かの手紙のやり取りを経て一年後に石川町のGean Genie(ジーン・ジニー)でのツーマンライブが実現、肉体疲労児として初のライブハウス出演となった。ラストにジャムセッションで数曲共演することになったのでそのリハーサルのために相模線というローカル線に乗って彼らが通う高校に出向いたが、電車が押しボタン式の開閉ドアだったり無人駅だったり、さらには校舎がのどかな田園地帯(田んぼのど真ん中)にぽつんとあって失礼ながら思わず笑ってしまった(後年、この近辺に住むことになろうとは夢にも思わず)。決戦大会ではハマスタの楽屋(選手ロッカー)でじっとせずにあちこちを徘徊し、デンスケのようなテープレコーダーを持って実況録音をして回ったが(スマホの無い時代ならでは)写真は予選と決戦を通じて演奏時も含めて全くといっていいほど残っていないのが返す返すも残念。
ボーカルと同じ高校の先輩がフロントマンだというご縁で球場内を徘徊した際一緒に遊んでもらったのがInter Missionさん。地元の喫茶店をネタにしたオリジナル曲を歌ってはいたがサウンドは真面目にロックしていてコミックバンドのノリは一切なく、肩の力が抜けたステージングは笑いを取ることに必死になっている自分達とは違うなぁと思ったもの。サラリと曲を作ってサラリと歌って見せるという余裕は恰好いいなと思った。
そして今や知る人ぞ知る、びっくりしたな、もう(さん付けで書くと何か変なので)は現在真心ブラザーズで活躍中の桜井秀俊さんをリーダーとするスリーピースバンド。個性的なビジュアルと独特の世界観を持った歌詞、そしてよく鍛えられた演奏(きっと場数を踏んでいるに違いないと感じた)で桜井さんは歌舞伎の獅子のような、メガロマンのような被り物とジャングル黒べえのようなメイクを施し、ギターボーカルとして熱唱していた(活字にすると無茶苦茶だけどw演奏はいたって真面目で堂に入っていた)。エントリー曲「花柄模様の赤い夢」はラジオ特番で先に聴いていたがイントロがTR-808っぽい打ち込みのリズムで始まると特徴的で聴き馴染みのあるドラムのパターンが繰り返される。決戦大会終了後に横浜そごうの屋上で行われた受賞記念ライブで初めてご一緒した際にドラムの森田さんが自分が着ていた衣装を見て「それYMOのステージシャツだよね」と声を掛けてくれたのが嬉しくて「花柄模様の・・のイントロって、あれ『ライオット・イン・ラゴス』(坂本龍一の曲でYMOがワールドツアーで演奏していた)ですよね」と返したことを楽しく記憶している。二年後の1988年には幸運にも新横浜スペース・オルタでの企画ライブにて共演が実現したが(自分達は肉体疲労児からMidnight Oneと改名していた)、桜井さんの手になる楽曲はもちろん、飄々としたMCにも引き込まれるものがあり、妙に覚えているのは「I Wanna be Your Man」を演奏する前に「ローリング・ストーンちゃんもビートルちゃんもやっている、彼氏になりたいという曲です」と紹介するくだりで自分は洋楽オンチだったこともあり「さすが、音楽をよく知っているなあ」と感心した事。今にしてみれば笑ってしまうような反応をしたものだが、桜井さんは我がバンドの演奏の際に途中から何故かオンマイクで合いの手や歓声を入れるようになって(笑)、「うわさに、なりたい」の演奏が終わる際にはエンディングのフレーズをユニゾンしてくれたり、「アホになりまっせ(ほら、アホになる)」での延々と続く演奏でもきっちりとサビのコール&レスポンスを入れてくれて(桜井さんも爆風スランプフォロワーなんだ)と感じて嬉しかったことを鮮明に覚えている。やはり様々な音楽を国内外を問わず幅広く聴いているのだ。盛り上げ役という意味もあっただろうが、うちのボーカルの歌の酷さを見かねたんだろうなとも思うとありがたくも申し訳ない気持ちになったものだ。そして桜井さんは1990年以降、真心ブラザーズへと活動の場を移すことになる――驚いたのは、楽曲しかり二人のインタビューを見ても桜井さんがYO-KINGの一歩も二歩も後ろに回って存在感が薄いことだ。あれだけの先鋭的な才能(イラストだって玄人はだしなのだ)を持つ人が前面に出てこないのは勿体ないではないか。自分は当時好きだったとんねるずになぞらえ(お笑いや歌だけにとどまらず文才もあり幅広く芸術的センスのあるノリさんがただただインパクトありきのタカさんの陰に隠れる格好になっているのと同じだ)と憤ったことがあった(→例え方がどうにも幼稚で恥ずかしいばかりだが)。立ち位置の問題ではあるが、ずっと後年になってびっくり・・・が活動を再開しているのは嬉しい限りだ。当時は「臍の緒」というカセットテープの音源と自主製作アルバムを入手して聴いたが同じ楽曲でも大きくアレンジが異なっており、一つの形にこだわらないこと、そしてまた演奏を繰り返すことで曲が新陳代謝を繰り返しているのだということを感じたのだった(何度も演奏すると飽きるんだよね)。変化を恐れず大胆なアプローチを試みる、それも桜井さんという人の才能なのだなと思うのだ。
「びっくりしたな、もう」の幻のファースト・アルバム。ビートルズのホワイト・アルバムならぬ「金盤(ゴールド・ディスク)」。イラストは桜井さんの手による。むむ、鬼才だ。

「ヤングオート」に掲載された決戦大会の模様。うちのバンドのボーカルと桜井さんの写真が抜かれているのは偶然。結局はビジュアル的に目立ってナンボということなんだろうね。


前出の「ポップティーン」で大きく取り上げられたびっくりしたな、もうの記事。
こちらの桜井さんはメイク無しバージョン。





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