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親しき仲にも。

執筆者の写真: Ryusaku ChijiwaRyusaku Chijiwa

更新日:2019年4月15日

2019年4月12日


自分にとってたとえ旧知の仲であろうとも、礼儀、礼節をわきまえない人とは付き合えません(唐突ですが)。ちぢぃーの同世代というと、もう40代、50代。いい加減子供じゃないんだし、自分に不品行、不始末があれば結果として相応にはね返ってくるものがあろうことは言われなくともわかるはず。駄目な人というのはいつも言い訳をして自分を正当化して、さらにはこれが私の生き方だなどと開き直ったりしている。自分はダメなんです、気が利かないし、いい所なんてないし、とても雑なんです。ということをあたかも自分のキャッチフレーズのように口にする(つまり、自分は冷静に現状を理解しており、かかる問題は認識しているよというアピール)。だから、逆にあなたがそれを受け入れてくれ、という論理。自分を改めようとか、努力してみようとか、根本的な問題の解決を試みようとする思考は一切働かないわけだ。ならば、そのデメリットとして身近な人が離れていくということも覚悟してほしいね。自分の非を認めて、素直に謝ることも出来ないなんて、僕は論外だと思う。小学生だって、ごめんなさいと謝れるのだ。ずいぶん昔から、この手の人は身の回りに居たけど、最近立て続けに関わることがあって、ちょっとうんざり。短い付き合いじゃないし、気心も知れているつもりだったけど、駄目なものは駄目です。ちょっとした気遣い、ちょっとした優しさを実践すればいいだけの事なのに。約束を守れなかったのなら、自分の非を詫びる。その原因が緊急の事態があったからという理由であったのなら、その後どう収拾したのかを一言伝える。本当に相手のことを思いやる気遣いがあれば、いずれも簡単に思いつくことだろう。誰かに自分の悪い部分を直接指摘されたり、忠告されたりするのは若い時だけ。ある年齢からを境に、ただ周囲の人が離れていくということになるだけ。どれだけ人の信用を、信頼を得られているか。これはたとえ疎遠な友人でも身の振り方に間違いがなければしっかり保たれるもの。僕はこうしたことを、少なからず当人には一度忠告する。しかしそれで改まることがないのは残念だ。歳を取ると親しく付き合う身近な友達はぐっと少なくなるけれど、信用を無くすようなことは絶対にしたくないね。声優なんて、収録でも、打ち上げでも、それが最善のやり方だと思って振る舞っていても、一度仕事をしただけで二度と声も掛けられなくなることなんてザラだ。しかもその理由が明かされることがないからこちらは悩む。役者としての実力がないと思われたのだろうと想像する以上に、きっと何か自分に粗相があったのだろう、気に入らないと思われたのだろうと疑心暗鬼になる。どちらにせよ、申し開きの機会は永遠に与えられることはないのだ。チャンスは、二度も三度も転がっていないのだ。だから慎重になる(といって媚びることはしないが)。友人だからと言って何度も許されると思っているのは、甘えでしかない。

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