2023年6月25日
日々の糧を得るために人はみな仕事に従事する。職場環境は千差万別、どんなに辛いことがあろうとも誰もが不満を押し殺して働く。たとえ長く勤めたとて決して個人の能力、適性が正しく評価されるというわけではない。しかし出来得ることならば個人の性格や個性といったパーソナリティーを認められたいという思いを抱く人は多いだろう。特に自分のような、承認欲求の強い人間は――。プロフェッショナルとしての音楽の演奏やマイク前での演技は(基本的には)そうした個性を求められての仕事だ。もっとも、自分の声優としてのキャリアを語る場合、千々和竜策と言う固有のキャラクターを求められての仕事はごく少ない。自分が所属する事務所に対してクライアント側からこのくらいの年齢層の、こういった役柄を出来る人間をという要求を受け、デスクが適当と思われる人間を割り振るのだ。決して指名を受けたということにはならない。指名で仕事を得るなど相当な知名度が無ければ起こり得ないもので、それはひとえに自分の実力不足。音楽は単なる趣味として続けているが「ぜひうちのバンドのドラムに」と声を掛けられる時はむしろ演奏の技量も個性も十分に理解された上でのことがほとんどで、これはただただ有難く話を受ける(このほど28年前にバイト先で一緒に演奏した方からお声掛けを頂いた。嬉しい限りだね)。そんなこともあって、生きているからには「自分」を求められたい、反対に「誰でも良い」というニーズの駒の一つにはなりたくないという思いが強い。誰にでも出来ること、パーソナリティーが必要とされないこと、これは寂しい。昔、仕事が少なかった時期に所属事務所のデスク担当に遊び半分の収録依頼をごく少ないギャラで受けた時、「◯◯の番組の◯◯さん風に」という注文があったものの、声質もキャラも全く異なる人だったためにかなり手こずりつつ、何故こんな事をやっているんだろうと悲しい気分になった(不満は一切伝えなかったが)。また他にも、短期のバイトで一緒だった年下の女子に7~8年ぶりに呼び出され、ただの愚痴の聞き役になったこともある(行く自分も自分だがね)。その子の場合は職場においても彼女の話したいことを話すだけ、こちらのことについては趣味から住んでいる場所に至るまで、一切何の質問もされたことはなく、再会の場でもそれは同じだった。千々和竜策という人間でなくとも誰でも出来ることならば、わざわざ心を砕く必要などない。もう、若くはないんだしね。こうした失礼な人々とは付き合いたくないし、自分を必要としてくれる場で、自分を理解してくれる人たちと仕事がしたい・・・今後も、そうした場所を探し続けるのだろうな――。
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