2022年6月18日
この日はちょっと遠出をして親戚の叔母さん(父の妹)の三回忌へ。前回は時間に遅れてしまって大変な目に遭ったので早めに出掛け、現地には予定の一時間前に到着。ゆっくり食事を済ませてからの参列。しかしもう三年、コロナ禍もあったけれど時が経つのは早いものだなとつくづく思わされる。中高生の頃から周囲と比べて親族や友人を見送る機会が多かった自分。声優の世界に入ってからも幾人もの先輩や同世代の仲間を見送ってきたけれど、悔しいと思うのは多くの人に惜しまれて亡くなった人でも、変わりなく動く日常にとりまぎれて忘れられていくことだ。それが世の中の常であり仕方のないことだとわかってはいても、何ともやり切れぬ虚しさを感じてしまうのだ。亡くなってしまったらそこで終わり、その日を境にして次第に顧みられることもなくなってゆく。だから、生きてこそ――自分なりの人生ではあるけれど、輝きを放ち続けていたいんだ。他人と比べてどんなに無価値な人生のように見えたとしても、その生を全うしてこそようやく成り立つものなのだと自分では思っている。たとえどんなに辛いことや苦しいことがあっても乗車拒否や途中下車をしてしまうと、すべてがノーカウントになるような気がしてしまうのだ。もっと生きたいと願っても永らうことが叶わなかった幾多の生命がある。その無念と言おうか、慟哭のようなものをこの身に受けて、自分は生き続けてやるぞと改めて思う。人生の価値を、どこかに見出すために。
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