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執筆者の写真Ryusaku Chijiwa

浮世のことも、夢のまた夢。

更新日:2021年7月14日

2021年7月13日


自分が趣味であるドラムの演奏を始めたのは中学二年、14歳の時。バンド専用のリハーサルスタジオが現在のようにチェーン化もしていることもなく、電車に乗って遠出しなければならなかった時代、同級生の自宅の広い部屋にドラムセットやキーボード、アンプなどの機材が一揃いあって、そこを練習場所として提供して貰ったのだ。ドラムセットはおろか、自分のスネアさえも持っておらず、荷物はスティックだけ。それも小学生の頃に使っていたピアニカのケースを代用してスティックケースにして、楽器メーカーのステッカーなんかを貼って得意になっていたっけ。メンバーは自分に、ギタリスト、ベーシストの三人。最初は洋楽などを雑多にコピーしていたんだけど、ほどなくYMOのコピーに特化したバンドに変貌。その際に自分が好きだった女の子をキーボーディストとして招こうという話が持ち上がり、そのいつもの練習場所にも一度だけ来てもらったことがあった。課題曲は「ジ・エンド・オブ・エイジア」(ライブアルバム「パブリック・プレッシャー」に収録)、音合わせの出来はまずまずだったけれど、嬉しくてただただ夢のような気分だった。「お家で(ピアノで)何度も練習していると、(そんな村祭りみたいな曲ばかり弾くのはやめなさい!)って言われるのよ」と楽しそうに話してくれたのを今でもよく覚えている。でも、その時はみな三年生に進級して受験シーズンを目前にした時期。忙しさにとりまぎれてバンドの話もいつしか立ち消えとなり、憧れの彼女とステージに上がる夢は結局、実現することはなかった(バンドも爆風スランプのコピバンへとさらに変化して、卒業時の三年生を送る会に出演した)。


あれから37年。現在52歳の自分がもし病魔に侵されるなどして余命幾許もないという運命に直面したとして、なりふり構わず、誰に気兼ねすることもなく言いたいだけの我儘を言えるという状況になったのなら――あの時の、幻と消えてしまったセッションをぜひとも実現させたい・・・もう間もなく消えてしまうこの取るに足らない生命の灯と引き換えに、最後の願いを叶えてもらうことは出来ないだろうか?この静かなミディアムテンポの曲は、ただ好きというだけでは言い尽くせない思い入れがあり、15歳の頃の楽しかった日々が、想い出が鮮明に甦るような気さえするほど自分にとって大切な曲。クライマックスのシンセ・ソロ(実はライブで演奏されたものではなくギターソロと差し替えるためスタジオでオーヴァーダビングされたもの)の素晴らしさはYMOのライブテイクの中でも屈指のものだ。長らく聴き親しんできたが、今なお全く色褪せることがない。この音世界に身を委ねて、宇宙空間を浮遊するような感覚を、ただの一度でもいい、味わうことは出来ぬものなのだろうか?


しかし、このメロディラインを聴いて「村祭りみたい」と形容したお母様のセンスは流石。



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