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執筆者の写真Ryusaku Chijiwa

大晦日によせて~2019年総括。

更新日:2020年1月2日

2019年12月31日


いよいよ令和元年が幕を下ろします。慌ただしい日々を送る中、今年一年を振り返ってみると、どうしても後半戦の疲弊が重く重くのしかかり、なかなか辛い2019年だったなという印象が拭えません。このところ繰り返し書いているので「お前もいやに打たれ弱いところがあるんだね」などと言われそうだけど、事実なのだから仕方がない。


行動開始。私は動く。そしてやる。そしてその理解を得るために、言葉を尽くす。実現したあかつきには、なるほどそういうことなんだねと、納得されるであろうことを信じている。


これは自分が8月17日に書いた文だが、私はこの信念を貫き、思いを全て具現化したのだ。

自分はバンドでの演奏にせよイベントの企画にせよ、そのプロセスはどうあれ結果的にはきちんと形にして提示することを旨としてそれを常に実行して生きてきました。しかし、そんな自分の思いに対して理解を示さず賛同もしない人間から、リスペクトされることさえなく言われなき中傷や罵倒を受けることになりました。ここに詳細は書けませんが、私は恫喝されたのです。まさか自分の身近にこんな無理解でかつ横暴な人間が居たんだという驚きと怒りを感じながらも甘んじてその言葉を受けましたが、これは自分の信念、生き方、パーソナリティーを否定されること。後付けでどう弁解をされようとも許せないし、またこの年齢にまでなってそんな人物とやむなく関わらなければならなかったことを非常に悲しく感じた出来事でもありました。そこで交わされたのは理性的な大人同士の会話ではなく、「どうでもいんじゃね?」――こんな底の浅い言葉ですべてを片付けられてしまったこと、これは自分にとって本当に、本当にショックな出来事でした。心が弱っただけの三か月、苦痛でした。


これらの経験を通して学んだのは、誰にでもいい顔をしようなどと自分を取り繕う必要はないということ、心を病むまで無理をする必要などないということでした。お互いを理解し、尊重し、敬意を払うこと。これはいついかなる時も忘れてはならないのだと改めて認識し直すことになったのは、逆に言えばさらに自分に自信を持つことにもなりました。言葉というものがどれだけ人を勇気づけ、励まし、心を豊かにするのか。その言葉で、人がどれだけ傷つき、悲しむことになるのか。身をもって知った2019年でした。もちろん、仕事やプライベートにおいてこの上なく楽しい出来事が多々あったことも事実。しみったれた恨み節は今日を限りに封印して、来年はさらに充実し飛躍の年となるよう、思いを新たに前進していこうと考えています。仕事の話が全然ないけど、、そちらももっと頑張らないといけないね。色々考えてます。千々和、動きます。乞うご期待!!


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