加藤治さんのこと。


2019年2月13日

【画像下】 これは自分が組合員である日俳連(日本俳優連合)が昨年1月に発行した会報(日俳連ニュース)に掲載されたものを個人的に記録していたものですが、2017年12月18日、長らく日俳連の監事を務められていた加藤治氏がお亡くなりになられています(81歳没)。プロフィール、出演歴はWikipedia等々で検索して頂ければわかると思いますが、俳優、声優のバイプレーヤーとして長年に亘り活躍されてきた方です。主演を務めたことがないとはいえ、没後約1年2か月を経ても、ネット検索やSNS等でも一切、情報が発信されていないというのは(活躍された時代が古いベテランの方とは言えど)さすがに不自然ではないのか、組合員向けとはいえ会報で公式に伝えられていることでもあり、このまま誰の口からもその名前が出ないというのは忍びないという思いから、ここに書き記しておこうと思います(あくまでも個人的な判断であり、問題が生じましたら当記事は取り下げます)。 加藤さんと自分とは、ほんの3年間ほど関わったことがあるのみ。1991年秋、専門学校二年次に在学中だった自分は、自己表現の新しい可能性を求めて、(当時渋谷にあった)東京演劇学院の声優科に入学した。高校を卒業してすぐ、憧れのプロドラマーを目指して音楽の専門学校に身を投じたものの、高校時代に地元ローカルのコンテストで一度入賞し学生バンドを3つほど掛け持ちしただけでいい気になって井の中の蛙だった自分の実力の無さを嫌というほど思い知るところとなりすぐさまドロップアウト、改めて音響系の専門学校に進みながらも音楽以外で何か勝負できるものはないかと模索する中で見出した、次なる挑戦だったのだ。 だから自分は、音楽学校の同じ轍は二度と踏むまいとの強い思いを持ってコツコツと努力を重ねた結果、本格的なデビューが33歳とかなり遅咲きではあるが声優として世に出ることが叶った(途中で投げ出すことだけはもう二度とするまいと誓ったのだ)。その自分の役者としてのスタートが、この東京演劇学院でのレッスンであった。加藤さんをはじめ講師陣は同じくベテランの北浜晴子さん、橋本晃一さん、新田三士郎(小林通孝)さんに加え、ムービーテレビジョン(現・ブロードメディアスタジオ)のミキサーの山田太平さんという硬派(?)な顔ぶれだった。恐らくは、声優科の創設にあたりその長としての立場にあった加藤さんのコネクションで集められたのではないかと思う。レッスンは加藤、北浜両氏を軸としてその他の講師陣からも声優を目指す上での「基礎の基礎」を学ばせていただいた。ほんの3年ちょっとではあったが、朗読会の開催があったり特別講師の講義(キートン山田さん)があったり、卒業時(結局自分の在学期間だけで声優科は消滅することになった)にはボイスサンプルの収録もあり、刺激的でかつ、自分にとって様々なカルチャーショックを受けた時期であった。ただ、こうして当時の思い出を語ろうとする時、加藤さんの記憶は薄い。皆で「お母さん」と呼び親しんだ北浜晴子さんにはとても可愛がっていただいたが、加藤さんはレッスンが終わると課外での生徒との交流は「情が移るから」と嫌い、食事はもとよりお茶の席をご一緒することもなかった。若い受講生たちは役者としての鍛錬は当然ながら、声優業界の様々な話を少しでも多く聞きたいと渇望していたのだ。ある年のクリスマス、学校のほど近くにあった「ピサロ」というハンバーグ屋さんに加藤先生をお誘いすることに成功し、期待に胸を躍らせて夕餉の席をご一緒したが、食事を終えるとすぐに帰ってしまい、皆でがっかりしたのを覚えている。レッスンにおいても、この声優科を将来プロダクション化してお前たちを所属させると言ったと思えばその翌週にはそんな発言は無かったことになっていたりで戸惑うことも多く、学校側とも指導方針を巡って次第に折り合いが悪くなっていったように見えた(その結果、声優科が短命に終わったのではと個人的には思っている)。ただ一度だけ、加藤先生が出演する劇場用アニメーション「走れメロス」のアフレコに特別に参加させてもらうという貴重な機会に恵まれたことがあって、単なるガヤ要員(台詞の無い、その他大勢)ではあったものの、東京テレビセンターでのアフレコは主要キャストのほぼすべての皆さんとマイクの前に立つことが出来た。エンドクレジットは加藤先生がうろ覚えの生徒の名前を伝えてしまったためか千々和竜榮と表記されてしまったが、間違いなく自分だ。劇場でこのエンドロールを目にした時は感激だった。1992年の時である。


加藤先生が日俳連で監事を務めておられることは知っていたので、いつかは再会できる機会が来るのではと思いながら(事務局にはイベントの際に顔を出すだけだったが)それも実現せず、訃報についてもひっそりと誰に知らせるともなく、時の流れに委ねて・・・というのは、少し不謹慎ではあるがあの気まぐれな加藤先生らしいな、と思ってしまった。「美味しんぼ」の富井副部長のあまりにデフォルメが過ぎた演技は苦手だったけれど、1970~80年代のアニメ作品において、恰幅の良い太く響く声で実に様々なキャラクターを演じている。俳優として、声優として、加藤治氏は文字通りの名バイプレーヤーであったことを、ここに記しておきたいと思う。


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