2025年2月1日
随分と時間が経ってしまったが、備忘録としても記しておかねばならない――昨年2024年12月26日に89歳で惜しまれつつ逝去されたウルトラ音楽の父とも言うべき作曲家・冬木 透(蒔田 尚昊=まいた しょうこう)先生のことである。円谷プロのウルトラシリーズの音楽を多数手がけたことで知られ、とりわけ「ウルトラセブン」はその最高峰と言っても良いと自分は思っている。
「ウルトラ」については当ブログにも専用カテゴリーを作っているほどで、過去記事で様々に書いてきた。自分がウルトラマンに触れたのは幼少のころからであったが、強く意識して作品を見るようになったのは1978年の末にTBSテレビで放送された「ウルトラマン大会」(テレビシリーズの特集放送)からのことで、小学三年生の時だ。時は俗にいう第三次ウルトラブーム、早朝の6時から放送されるウルトラシリーズを眠い目をこすってイヤホンで見る(寝ている母に怒られるので)という毎日を送り、翌1979年3月に全国松竹系で公開された「実相寺昭雄監督作品 ウルトラマン」は劇場へ足を運んだ。劇伴(BGM)も大好きだったが日本コロムビアの「特撮オリジナルBGMコレクション」シリーズがリリース開始されるのは81年のこと。当時買ったのはドラマ入りの「ウルトラ怪獣大百科!」と「交響詩ウルトラマン/ウルトラセブン」の二枚で、これをカセットテープにダビングしてひたすら愛聴した(「特撮オリジナル‥」の「ウルトラマン」ものちに購入)。「マン」のファンだったので初めに親しんだのは宮内国郎さんの音楽であったが「交響詩‥」で初めて向き合った冬木氏の音楽は何とも華麗で雄大、まさにスペースオペラと言うべきスケール感を持ったもので、作曲者本人のリアレンジも素晴らしく本編において印象的な楽曲が壮麗な組曲となっている。以後、昭和版のウルトラシリーズの音楽は「タロウ」を除いてすべて冬木氏の手になるもので(「ザ・ウルトラマン」のみ宮内氏との共作)、文字通りウルトラシリーズの世界観を形作る上において重要な役割を果たしたのだった。過去に何度も書いているように自分は「マン」「セブン」のみを偏愛するファンであるが、再放送をほぼすべてチェックしていたので諸作品にも馴染みがある。その中で「帰ってきたウルトラマン」のスコアが同じ冬木氏の手によるものでも前作の「セブン」とは打って変わって東宝特撮映画の伊福部昭のような妙に古臭い作風になっているのが強く印象に残っている。ホームドラマ的な要素を取り入れた作品でもあり、主人公が弱さや葛藤を見せ、また時に傲慢になるという不完全さや防衛隊(MAT)隊員同士の対立が描かれるなど1971年当時においては新機軸であったのだろうと思うが、自分は好みに合わなかった。スリムで機敏な動きだった古谷敏氏と比べてスーツアクターの菊池英一氏のアクションが終始野暮ったかったのもガッカリした大きな一因で(ウルトラセブンでの客演時も同様)、シリーズの中では最も思い入れのない作品。それゆえに冬木氏はそれら世界観に沿った楽曲を提供したとも言えるわけで、実に器用な作曲家だなと子どもながらに感じたのだった。ませていたし一つ事に夢中になって追いかけると他の物との違いがしっかりわかるマニアックな少年だったのですね。自分は。
「エース」では「帰ってきた」の流用も多かったがサスペンスタッチな曲調が色濃く物語の緊張感をひときわ盛り上げていたし、「レオ」では随所にトランペットを多用して熱血スポ根ドラマ的な雰囲気を打ち出して過酷な世界観も見事に描かれており、冬木氏の音楽は昭和時代のウルトラワールドに本当に欠くべからざる偉大なものであったのです。
先生の偉大なる功績に改めて敬意を表しつつ、ご冥福をお祈りいたします―――。


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