2024年10月26日
ミュージシャン、俳優、タレント等々にわたって著名な方々を見送ることがこんなにも多い年があったろうか。自分が年齢を重ねた分その頻度が上がるのも無理はない話だが、そんな歳になったのだなという思いもあって複雑だ。今度は近年消息についての情報が何度か報じられていたピーコさんだ。「おすぎとピーコ」という名前を聞いても若い人たちはほとんど知らないだろう。まだジェンダーやLGBTなどといった言葉さえも存在しなかった1975年、映画評論家と服飾評論家という肩書きをそれぞれ持ちながらオネエ系タレントの元祖として広く活躍した。二人が揃うとワーワーと喋りまくる様をタモリや片岡鶴太郎がモノマネしていたのも懐かしい。ピーコさんはワイドショー番組での辛口ファッションチェックを長らく担当していたが、自分は高校生の時に雑誌「チェックメイト」の連載「ピーコのキミはCITYでナンバーワン!」が好きで愛読していた。「メンズノンノ」が創刊したのが高校1年生の時、「ポパイ」は大学生のお兄さん世代だったから「ホットドッグ・プレス」を買っていたけれど、月刊ファッション誌は「メンノン」でも「メンクラ(メンズクラブ)」でもないし「ファインボーイズ」だと甘すぎるからと「チェックメイト」を購読していた。ファッションには疎いながらも興味津々の10代だったから、DCブランドブームの中で丸井のスパークリングセールを覗いたりする一人だった。ピーコさんの連載記事で紹介される素人さんのコーディネートはセンスの良い「お手本」のようで、それに対する的確なコメントにいつも感心し(この人は毎回品のある着こなしを紹介するな、自分の好みと合うな)と思い、以来とても好感を持つようになった。1989年に悪性黒色腫により左眼を摘出して義眼になった顛末を書いた「片目を失って見えてきたもの」も購入して読んだ。自分が出生時の未熟児網膜症により左目が見えないこともあってある種のシンパシーも感じていた。5、6年前だったろうか、東京・青山の裏通りをあてもなく奥さんと街ブラしていた時、上下白のセットアップをスマートに着こなして足早に歩く人を見かけて「さすがこの辺りはピーコさんみたいな人が歩いてるね」などと冗談を言いながらよくよく見てみるとご本人だったので驚いたことがあった。「おすピー」コンビが自らをオカマと名乗り同性愛者への偏見を助長していると美輪明宏さんが憤ったということらしいが、それは彼女たちが自らの存在を卑下した一種の謙遜であると思う。歯に衣着せぬ辛口な物言いを売り物にしていながら、世間に対して何かを啓蒙しようとか権利を主張しようなどといったこともせず、性的マイノリティである自分たちの「立ち位置」をよく理解してのことだったと思う。あの品の良さは自分が演じる伊東甲子太郎のキャラクターにも通じるところがあったね。上品なピーコさん、好きでしたよ。

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