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さよなら――ダディ竹千代さん。

2024年5月11日


SNSの音楽仲間の投稿で、ダディ竹千代氏の訃報を聞く。ここ数年体調が悪かったことは何となく情報を見聞きして知っていたのであまり驚きはなかったが、どのメディアでも全くと言っていいほど報道されていないのは何だか切ない。ロック界の笹川良一を自認し、音楽関係者には広く知られた存在であったことは事実ながら、ミュージシャンとしての履歴は東京おとぼけCatsのボーカリストとしての活動、カルメン・マキ&OZの座付き作詞家(一時はマネージャーも兼任)として知られているのみ。ビートたけしが起用される前のオールナイトニッポン木曜深夜のDJを務めていたことを知る人はよほどの年配のマニアだろう。それ以外では芸能事務所の経営やアーティストのプロデュースを行いつつ、2007年から新橋ZZというライブハウスのオーナーを務めていた(2018年に閉店し二子玉川のジェミニシアターに場を移す)。自分は声優活動のために7年間にわたり完全休業していたバンド活動を再開するにあたって、せっかく好きなドラムを叩くのならばこれは!と思える場で腕を揮いたいと考え、YouTubeで見つけたおとぼけCatsのコピーバンドのドラムに志願して加入することになった。おとぼけは4つ年上の兄が聴いていたが、自分はダビングしたアルバム一枚とライブ音源(ローディープラザでの収録)、そして1990年の再結成時のライブビデオ「幻の10年」を持っているだけであまり知識はなかったが、そのコピバンがとにかくひどい演奏だったので自分の力で何とか形にしてやろうと考えてのことだった。その思惑通りにわずかなツテを頼ってサックスのソロイストやホーン隊など次々に導入し、自らボーカルも取って新機軸を打ち出した。ライブではダディさん、ギターのキー坊★金太(めおと楽団ジキジキの世田谷キヨシ)さんとも共演し、キー坊には演芸場の営業でドラムを務めてくれないかというスカウトも受けた(これは実現せず)。一時期はのめり込んだバンド活動であったが自分よりも年齢が上で喧嘩ばかりしていたメンバーとはソリが合わず、ロクに練習もせず集客は人頼みという傲慢なリーダーの性格にも我慢がならず1年半ほどで脱退した。ライブで新橋ZZのステージに上がったのは4回ほどでゲネプロを想定したリハーサルでもお邪魔しているけれど、ダディさんはどこか怖くて話しかけられなかったな(PAを担当していたボーン助谷氏は優しく声を掛けてくれたね)。しかしながらアンコールでご一緒した「銀座カンカン娘」の演奏後に「凄く上手くなったなぁー」とコメントしているのが聞ける(4分11秒あたり)。これは生意気ながら自分としてはしてやったりの結果だったのだ。


自分が加入する前と後で数人のドラマーがこの曲を叩いている動画をみたけれど、まともに叩けている人はナシ。そんなに難しいフレーズがあるわけではなく、リズムキープの問題。


加入して初のライブより。ご本人お二人と共演のアンコール曲。盛り上がりました。もう一度ご一緒する機会が永遠になくなってしまったのは寂しい。心よりご冥福をお祈りします。


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