2024年11月17日
爆風スランプのライブに参戦。本人たちは28年ぶりの再結成、自分は1988年「爆風元年」のライブに行って以来のことだから実に36年ぶりのこと。中学3年の時「たいやきやいた」のPVを見て、渋谷陽一のラジオ番組でのデビューライブを聴いて一発でファンになった。当時はYMOのコピーバンドを組んでいたのが即日爆風バンドになった。2ndシングルの「うわさに、なりたい」のタイアップのファンイベントに行き、学園祭でのライブのはしごをして1985年の初の日本武道館のライブ、日比谷野音や地元横浜文化体育館などにも足を運びステージに熱狂した。サンプラザ中野のオールナイトニッポンの名物コーナー「幻の商売繁盛えーらいこっちゃ」の企画で根岸のラーメン屋さんにも行ったな(その時に撮った写真は「おぎやはぎの愛車遍歴」で紹介していただいた).。メジャーになるにつれてのキャラ変とほーじんの脱退、作風の大きな変化に失望して追いかけるのをやめたのは、それだけ爆風スランプへの愛の深さゆえのことだった。拳を振り上げヘッドバンギングをしながら声を嗄らして歌っていたのがまさに青春時代(高校時代)の想い出。ここ数年は爆風セッションに参加して懐かしい楽曲を演奏したり、そのご縁でファンキー末吉さんとステージで共演する幸運にも恵まれたりして当時の記憶を思い起こす機会が増えていたし、彼らのリユニオンを見るのは宿願でもあった。でもね、待ったよ、待ち過ぎたよ、待たせすぎだよまったく!!愛憎半ばする思いで駆け付けたLINE CUBE SHIBUYAは渋谷公会堂だ。遠く気仙沼から駆けつけてくれたのはかつてコピバンでリズム隊を組んだ盟友。この瞬間をともに目撃しなければ意味はない。会場では何人ものセッション仲間さんと遭遇、東京公演はこの一日限りだもの仕方がないよね。かくしてライブは布衣(ブイ)の演奏で幕を開け、そのまま爆風スランプの演奏へ――。中野のキーは下げまくりで一緒に大声で歌っても違和感ありありだし、期待していた最初期の曲はやらないし、何よりステージにほーじんが居ないじゃないか・・何故もっと早くに再結成出来なかったんだよと、心の中では厳しい事ばかり考えていたけれど、ほんの一時期でも爆風に捧げた青春を久々に取り戻せたことは感慨無量でありました。ダブルベースでもう一度見たいよ、あほになりまっせ(ほら、アホになる)を絶叫したいよ、大好きだった爆風スランプを、またステージで見たい!と思いつつ会場を後にしたのでした。
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