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あれから20年。

2022年11月5日


この日はベテラン声優である辻親八さん率いるReading company ゑほう巻きの第二回公演、「地底」「跫音」(演出:藤井ごう)をTACCS1179で奥さんと鑑賞。客演の定岡小百合さんにお誘い頂いてのことだったが、キャストは辻さんが所属するオフィスPACのほぼユニットという形で、過去に収録でご一緒した方もちらほら。二部構成の前編「地底」(横山晃作)は炭鉱の内部という舞台設定のため(声にリバーブ[エコー]をかける演出から)マイクを立てて、後半の「跫音(あしおと)」(内村直也作)はマイク無しでの口演。いずれの作品にも共通する、ある日突然大切なものを失ってしまうというテーマ――その状況において、人間の感情はどのように揺れ、どのように人に訴えかけるのか。大掛かりな舞台装置を必要としない朗読劇は昨今、様々な形で多くの公演が行われているが、手軽に見える分だけ演者の言葉に力が無ければ聴衆に訴えかけるものも響くものも著しく貧弱になる。が、こちらのゑほう巻きさんではじっくりと時間をかけて稽古をしているようで、アマチュア劇団にありがちな即席の浮き足立った感じは受けない。張り詰めた雰囲気でドラマティックに展開する前編は救いのないまま重苦しく幕を閉じ、どこか悲壮感さえ感じさせる切ない物語の後編は希望に満ちたエンディングで大団円となる。動と静、見事なコントラストで飽きることなく楽しめた。キャストの大多数が事務所を同じくするというシチュエーションゆえ、経験豊富である人とそうでない人、中には講師と生徒という関係で参加している人もいるように思えたが、その落差が気になった。しっかりと演出もつけられてはいたと思うが、共演する辻さんの、側見さんの、一柳さんの演技を肌で感じながらしっかり何かを学び取って欲しいなと思うところ。言葉はただ前に、前にと出せばいいのか。極限状態に身を置いた時、相手に怒りをぶつけるだけでいいのか、人間には、抑圧されて、押し殺して堪え切れないという感情がようやく爆発するというプロセスがあることを、じっくりと考える良い機会になったのではないか。個人的に「跫音」に客演した定岡さんはマウスプロでご一緒していた頃から秘かなファンであるが、マイクの無いところで敢えてぐっと声をひそめた瞬間(台詞としては物語に大きく関わることのないただの世間話なのだが)、ある種の戦慄を覚えるほどだった。客席に届くか届かないかのギリギリの線で、それでも届くと踏んで台詞を投げたのは演者として賭けているもの、信念のようなものが伝わってくる気がしたのだ(考え過ぎ?)。要所要所で狂言回し的な立ち位置にいた駒谷さんはジュニア時代によくご一緒したが、若手をまとめるリーダーとしての風格があった。上手い人が締めると舞台は俄然、生きてくるのだ。


普段は板(舞台)に立つ機会が全くない自分だが、かつては所属事務所をあげての朗読劇に参加したことがある。三年半ほど身を置いた同人舎という事務所でただ一度きり開催されたものだったが、自分はもうこの場所に未来はないと見切りをつけ退所する意思を固めていた頃。準備期間も短く予算もまるでなく、舞台も劇場ではなくライブハウス――観客もほぼ身内だけだったと記憶している。そんな突貫工事の中でも自分が何か残せるもの、伝えられるものがあれば、この朗読会が以後定期的に開催されるようその叩き台になればと考えて、お酒が飲める場所で夜の開催だったことから「カクテル・シアター」とそれらしいタイトルを付けてチラシとパンフレットを作った。出演者のコメントは各々に取ったが、開催のごあいさつやマネージャーからの賛辞などはすべて自分がでっち上げ、社長のコメントもごく短いものだったので水増しして加筆したものだった。しかしカクテル・シアターは定例化されることなくその時限りで終わり、事務所の活性化に繋がることはなかった。そして、あれからもう20年。朗読劇は舞台公演の一つのスタイルとしてすっかり定着した。今もこうして鑑賞する機会があるが、その度にふと、一度きりとなってしまったあの朗読劇のことを思い出す。この世界から身を退いた人、まだ生き残っている人、二度と会えない人・・・その中に心底あくどい奴もいたっけな。今や立派な事務所社長様だが、俺はずっと忘れていないぜ。


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